私がイタリアで料理修行をしていた頃、あるピッツェリアを訪問する機会がありました。
そこで職人から聞いた話の中で、今でも印象に残っていることがあります。
それは、
「ピザ生地にはカナダ産のマニトバ粉を使う」
という話でした。
当時の私は少し意外に感じました。
なぜなら、イタリア人は自国の食文化に強い誇りを持っているという印象があったからです。
カルボナーラに生クリームを入れることや、パスタを折って茹でることなどはイタリアでは万死に値するほどの冒涜と見られます。
少なくとも私がイタリアで生活していた頃の感覚では、「そこまで怒る?」と思うほど真剣に議論されるテーマでした。
そんなイタリア人が、なぜわざわざ海外産の小麦を使うのでしょうか。
マニトバ粉とは何か
マニトバ粉とは、カナダ西部で栽培される高タンパク小麦に由来する小麦粉です。
特にサスカチュワン州やマニトバ州周辺は、世界有数の穀倉地帯として知られています。
この地域で生産される小麦はタンパク質含有量が高く、グルテンの力が強いことが特徴です。
そのため、
・生地がよく伸びる
・長時間発酵に耐えられる
・焼き上がりに弾力が出る
といった特徴があります。
ナポリピザのようなモチモチとした食感を作るには非常に相性が良い小麦粉です。
ただし、ここで重要なのは単純なタンパク質量だけではありません。
パンやピザ作りで重要なのはグルテンの質です。
実際には、
「タンパク質が多い=良い小麦」
という単純な話ではなく、
「ピザ生地に適したグルテンを持っているか」
が重要になります。
そのため職人たちはイタリア産小麦とマニトバ粉をブレンドしながら、理想の生地を追求しているのです。
では、なぜカナダ西部の小麦はこれほど高く評価されるのでしょうか。
なぜカナダ産小麦は評価されるのか
カナダ西部は、
・寒暖差が大きい
・比較的乾燥している
・広大な農地がある
という特徴があります。
こうした環境では高タンパクでグルテンの強い小麦が育ちやすいと言われています。
そのため、マニトバ粉はパンやピザの生地作りに適した小麦粉として世界中の職人から評価されています。
つまり、イタリア人がマニトバ粉を使う理由は、
「カナダ産だから」
ではありません。
理想の生地を作るために必要だからです。
イタリア人は国産原料にこだわっているわけではない
私は長い間、「イタリア人は何でもイタリアにこだわる」と思っていました。
というのも、イタリアで生活していた頃に見聞きした食文化は、そのような印象を持つものばかりだったからです。
例えば、トリュフやポルチーニ茸はイタリア以外の国でも採れます。
実際、ポルチーニ茸は東ヨーロッパ産も多く流通していますし、トリュフもフランスやクロアチア、ルーマニアなどで採れます。
それにもかかわらず、私がイタリアで生活していた頃は、「イタリア産」という言葉に特別な価値が与えられているように感じる場面が少なくありませんでした。
また、オリーブオイルやワイン、チーズなども同様です。
イタリアにはDOPやDOCGといった厳格な原産地認証制度があり、生産地や製法が細かく管理されています。
地域ごとの伝統や品質を守ることに対する意識は非常に強く、食材への誇りを感じる場面も多くありました。
さらに興味深いのは、イタリア人は食材だけでなく「食べ方」や「飲み方」にも強いこだわりを持っていることです。
例えば、カプチーノは朝に飲むものであり、夕方以降に注文するのは邪道だと考える人もいます。
実際、私自身もイタリア人の友人と一緒にいた際、夕方にカプチーノを注文したところ、「カプチーノは夕方に飲むものじゃない」と本気で注意されたことがあります。
また、エスプレッソも日本の喫茶店のコーヒーのようにゆっくり時間をかけて飲むものではありません。
バールのカウンターで注文し、短時間で飲み干して店を出る。
そうした飲み方が本来のスタイルです。
こうした経験から、私はずっと、「イタリア人は伝統や国産のものに強くこだわる人たちだ」と思っていました。
だからこそ、私にとってカナダ産のマニトバ粉をピザ生地に使うという話は意外だったのです。
イタリア人が守っているのは「国産」ではなく「完成形」
しかし調べてみると、実際は少し違うようです。
イタリア人がこだわっているのは、必ずしも原料の国籍ではありません。
彼らが守ろうとしているのは、料理の完成形です。
理想のピザを作るために必要であれば、海外産の小麦を使うことも受け入れられています。
つまり、
「イタリア産だから良い」
のではなく、
「最高のピザになるかどうか」
が重要なのです。
そう考えると、カナダ産のマニトバ粉を使うことと、カルボナーラに生クリームを入れることは、イタリア人にとって全く別の話なのかもしれません。
前者は理想のピザを作るための工夫です。
一方で後者は、料理そのものを別の料理に変えてしまう行為です。
私が長年抱いていた「イタリア人は国産主義だ」というイメージは、必ずしも正確ではありませんでした。
むしろ彼らは、「理想の料理を守るためなら最適な材料を選ぶ」、「自分たちが理想だと思う味や文化を守っている」という考え方を持っているように思います。
実はイタリアは昔から穀物輸入国だった
さらに調べていて興味深かったのは、イタリアが昔から穀物輸入国だったという事実です。
古代ローマ時代には、北アフリカやエジプトから大量の穀物が運ばれていました。
現在でもイタリア国内だけで小麦需要をまかなうことは難しく、多くの小麦を海外から輸入しています。
パスタの原料となるデュラム小麦についても、カナダ産が使われることは珍しくありません。
私はこれまで、
「本場イタリア料理=イタリア産原料」
というイメージを持っていました。
しかし調べてみると、イタリア料理そのものが、古くから様々な文化や食材を取り込みながら発展してきた歴史を持っていることが分かりました。
例えば、現在ではイタリア料理の象徴とも言えるトマトは、もともと南米原産の植物です。
また、私がイタリアで学んだトスカーナの伝統料理「ペポーゾ」に欠かせない黒胡椒も、もともとはアジアから伝わった香辛料でした。
つまり、私たちが「伝統的なイタリア料理」と呼んでいるものの中にも、実は海外から伝わった食材が数多く使われているのです。
そう考えると、カナダ産のマニトバ粉が受け入れられていることも、それほど不思議な話ではないのかもしれません。
イタリア人は外国のものを無条件に拒絶しているわけではありません。
むしろ、古代から交易を通じて様々な文化や食材を取り入れながら、自分たちの料理を磨き上げてきました。
そして、その中で本当に良いものだけが残り、イタリア料理の一部になっていったのだと思います。
おわりに
イタリアで料理修行をしていた当時は、
「イタリア人なのにカナダ産小麦を使うんだな」
という程度にしか思っていませんでした。
しかし改めて調べてみると、その背景にはイタリアの食文化や農業、さらには古代ローマ時代から続く穀物輸入の歴史までつながっていました。
そして私が気付いたのは、イタリア人が守ろうとしているのは、必ずしも原料の国籍ではないということです。
彼らが本当に大切にしているのは、料理の完成形なのかもしれません。
本場の料理というと、その国の食材だけで作られているようなイメージがあります。
しかし実際には、国産かどうかよりも、理想の料理を作れるかどうか。
そこに職人たちの本当のこだわりがあるように思います。
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